2009年4月22日水曜日

南三条界隈かわら版 第2号①


 この文章を書いている今、北京ではオリンピックが華やかに行われています。
 さかのぼること36年前、かつて我が街「札幌」でも冬季オリンピックが行われ、その頃からこの街の文化に変化が現れてきたように思います。
 それは大通りより北側がビジネス中心の「昼の文化」、南4条から南側が飲食業中心とした「夜の文化」への分化が始まった時期と一致していました。
 そして「昼の文化」と「夜の文化」の間に挟まれた南1条から南3条にかけて、当時のサブカルチャーの代表者達が喫茶店やBAR、居酒屋等の営業を始め、また従来の営業形態とは違う方法を取り始めたのです。
 その当時、現在では当り前になっている、店主がお気に入りの音楽を掛けて客と一緒に楽しむという事はあまり無く、ポピュラー音楽を聴く手段は、もっぱらレコードかラジオしか無かったのです。そんな時代にジャズ喫茶が現れ、そして当然の様にロック喫茶が出現し、若者達はこの地域の常連となっていったのです。
 誰彼となく呼び始めた「南三条界隈」と言うネーミング、その名を受け継ぐ「南三条界隈かわら版」を今後もヨロシクお願いします。
次回に続く