2009年9月1日火曜日

南三条界隈かわら版 第6号②


 スパニッシュムーンは、明らかにそれまでのバンドとは違っていた。
リーダーT氏は、それぞれ活動していたメンバーを集め(自身も仕事を辞めて)こう言った。
「このバンドは、プロに成る為のバンドだ。バンドが売れた後は、それぞれ自分のやりたい分野に進んでいって構わない」
 実際、リーダーはプロデューサーを目指していたし、自分自身もスタジオミュージシャンに成りたいと思っていた。
 バンドを売る為の計画も独自の考えで
「センセーショナルなデビューでなければならない。オリジナル曲を十数曲作り、道新ホール(500席以上)をいっぱいにして初ライブをやる!」
 それから約2ヶ月、1日5~6時間のリハーサルを行い、デビューライブは成功した。
 その後も地方のお祭り、会社のパーティー、ポプコンのゲスト、コマーシャルソング、ビアガーデンのイベント、果てはスーパーのオープニングイベントまで、取れる仕事は何でもやった。
 ただし、基本的にオリジナル曲しかやらず、徹底的に自分たちの曲をアピールした。
 その当時、札幌には「神経質なニワトリ」「ジッピーバーニー」「ビードロ」の3つしかライブハウスがなかった。
 それぞれ音楽的に特徴が有り、我々は何処のライブハウスでもアウェイな感じだった。
 が、それぞれのライブハウスで月2回ずつのライブを毎月続けた結果、ライブは毎回満席で外に並んで聴く人まで出るようになった。
 しかし、同じ曲を同じ様に演奏していては飽きられてしまう。
 本番前のリハーサルで、突然アレンジをまったく変えたり、イントロを新しく足したり、トリッキーなセクションを付けたり。
 その場で曲を作り上げて、そのまま本番に突入するわけで、常にライブは緊張感を強いられ、しかも1回のライブは2時間半にも達した。
 客は、とても盛り上がっていたが、我々には過酷なもので、しかもその後には打ち上げと言う名のシビアな反省会。
 しかし、その甲斐有ってか1年後には仕事は月20本以上、移動を含むとオフはほとんど無し。
 その頃からライブにレコード会社の人間が来る様になり、レコードデビューに向けて順調な道を進んでいった。
 ただレコードの出し方にはランクが有り、ランクが低いと曲をいじられたり、レコーディング時間が短かったり、スタジオミュージシャンを使われたり(実際、数多く行われていた!)、プロモーション費用も全然違ってしまう。そう成らない為には、知名度と実力の両方が必要とされる。
 そして、未だに人から言われる“あるエピソード”へと話は続いていく。
文・BAR FM 司