最近、かわら版関連のお店で落語(の真似事)をさせていただいております、かわら版編C長タイヨウ、改め『仔羊亭たいよう』と申します。
ご別懇の程、ヨロシク哀愁でゴザイマス。
さて、落語家の亭号(いわゆる苗字に当たる部分)、初めてこれを使ったのは“江戸落語中興の祖”と呼ばれます、烏亭焉馬(初代 立川焉馬)と言う方だそうです。
この烏亭焉馬、専業の落語家ではなく、いわゆるプロデューサー的な人でして、料亭を借り切って「噺の会」を主催していたんですな。
この会のメンバーに初代の三笑亭可楽、この方は“江戸落語家の元祖”と呼ばれる人なんですが、この初代の可楽がいたんだそうで。
元々は櫛職人だったんだそうですが、友人の平賀源内に連れられて、この「噺の会」に顔を出しまして、これなら俺も出来るってんで落語家になったんだそうですな。
この初代可楽、背ぇの小さい人でして「山椒は小粒でひりりと辛い」をもじりまして三笑亭可楽、初めは“山生亭花楽”と書いたんだそうですが、こう名乗ったんだそうで。
で、初代可楽が寛政の10年7月に、江戸は浅草の下谷稲荷で寄席興行を行うんですが、これが日本で初めての寄席興行なんだそうです。
また、この初代可楽の門下には、多くの優れた弟子が集まりまして、江戸の落語系図で『可楽十哲』と呼ばれます、例えば三遊亭円生(山遊亭猿生)、林家正蔵(林屋正蔵)、朝寝坊むらく(朝寝房夢楽)、船遊亭扇橋(入船亭扇橋)と、キリが無いんでこの辺にしときますが、落語家の系図をずーっと辿って行きますと、各流派の祖と成るような方々に行き着くんですな。
さて、ワタクシの亭号『仔羊亭』ですが、昔、南三条に在りました、ラム肉居酒屋の店名を勝手に拝借いたしました。
この紙面を借りまして、ご報告の上、独り襲名披露の挨拶に代えさせていただきます。