2009年10月19日月曜日

南三条界隈かわら版 第7号⑦

 今でも人から言われる“あるエピソード”とは、サザンオールスターズの北海道ツアーで前座を務めた時の話である。
 サザンが「勝手にシンドバッド」でデビューして初の北海道ライブ、まだサザンの知名度が不足しておりチケットの売上が伸び悩んでいた。
 そこで急遽、スパニッシュムーンが前座を務め、客を集めようと言うことになった。
 当日、会場の前方200人くらいはスパニッシュムーンのファンと言う中、ライブは始まった。
 我々スパニッシュムーンのライブ中には、爆竹まで鳴り、しまいには、アンコールまでやってしまった。前座なのに・・・。
 当時「勝手にシンドバッド」以外、ヒット曲の無かったサザンのライブは盛り上がらず、焦ったリーダーのK氏は、必死に盛り上げようとグランドピアノの上に乗り、音量を上げすぎ、会場のメインヒューズを飛ばしてしまった。
 結局、サザンのライブは終了時間を1時間以上オーバーし、多額の賠償金を払う結果となった。
 しかし、このエピソードは、我々にとっては良い効果をもたらし、いよいよレコードデビューに向け多くの人々の期待や協力、援助を受けて進んで行くことになった。
 だが、バンド内部では技術的な部分や音楽性の部分で、不協和音が出始めていた。
 ベーシストのW氏が辞めることになり、代わりにM氏が参加。
 同時に実力No1ドラマーN氏がパーカッションとして加入し、サウンドは充実していくが、初期のインパクトは失われていく気がしていた。
 そして、私自身もレコーディングに対しての技術不足と言うことでクビになる。
 22歳に成った頃だったと思う。
 ありきたりだが、自分の中では『青春が終わった』と言う感じだった。
 その後、バンドはレコーディングの日程も決まり、デビュー目前と言うところで、レコード会社との契約内容、金銭の管理状況等を巡ってトラブルが発生。
 人間性に対する不信感が一気に爆発して、空中分解してしまう。
 実にあっけない幕切れだった。
 膨大なエネルギーを費やし、大勢のファンを置き去りにし、多くの方面に多大な迷惑を掛け、夢は終わった。
 それでも、スパニッシュムーンは最高のバンドだったと今も思っている。
 そして参加させてもらったことを誇りに思っている。
 長い話に付き合ってくれて有りがとう。今度は笑える話にします。
文・BAR FM 司